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2010年08月20日

舟見城 魚津城

舟見城舟見城 魚津城
越中古城記に「舟見村古城、東山にある。築城の年代はわからない」とり事実上の築城は定かでない、宮崎城主太郎の嫡子「入善小太郎舟見城を構築す」の伝承があることから、その時期は源平合戦から承久の変の頃と推定される。小太郎が北条軍を迎え撃つ一環として構築したと考えるのが妥当であろう。
降って弘治年間謙信が敵中へ攻め入った、当時の城主飛騨守左近尉が防戦したが破れ、黒部川断崖より飛び降り最期を遂げたといわれる、平治が続く江戸時代となり、黒部川にも橋梁が架かれるまで舟見城は、宮崎城と共に戦略上の重要な山城であった。

魚津城址舟見城 魚津城
魚津城の築城年代は明らかではないが、角川の河口近くに築かれており、室町時代に新川地方の政治的・軍事的中心であった松倉城への重要な交通ルートの押さえとして築かれた支城であったと考えられている。
 天正十年(1582)三月から上杉方の越中における拠点であった魚津城を織田方の柴田勝家、佐々成政、前田利家らが攻め、本能寺の変の翌日の六月三日に落城している。
 その後、加賀藩の支配下となり、江戸初期には廃城となったが、武器庫や米蔵が置かれ万一に備える一方、城外に奉行所や郡代が置かれ、新川郡の政治的・軍事的中心として栄えた。
 天明五年(1785)の魚津町惣絵図には本丸とそれを囲む二の丸が描かれており、明治頃までは堀や石垣が残されていた。

今は小学校

宮崎城舟見城 魚津城
1182年(寿永1)京都を脱出した北陸宮が木曽義仲に属する豪族宮崎太郎長康に護られ、この城山に御所を造営し居住したことが宮崎城の始まりといい、県下最古の城の一つとされる。
戦国期には越中守護畠山氏の守護代椎名氏の支配下であったが、後に上杉氏の手に落ちると、謙信の越中侵攻の重要な中継地点になり、上杉方諸将が城代となった。
その後佐々成政の手に落ちるが、上杉景勝が宮崎城を攻略し、一時的に再び上杉方が領有した。
江戸時代に境関所の整備に伴い廃城となった。

現地掲示板より




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